倉敷探訪

~大原孫三郎の功績をめぐる~

倉敷周辺は昔は海でした。その後、高梁川の氾濫と干拓によりしだいに陸地化し、1600年頃にはほとんど陸地になり、1642年には徳川幕府の直轄地になっています。
以後、幕府の保護や周辺の豊かな産物を背景に、物資の集積地として成長しました。
当時の倉敷川は、潮の干満を利用して多くの船が航行し、倉敷は物資輸送の集積地として、白壁土蔵造りを中心とする町並みが形成されました。
20世紀になると、大原孫三郎が様々な社会活動を通じて、倉敷を全国に知られるユニークな町にしてきました。

町づくりに貢献した大原孫三郎

大原家は倉敷きっての大地主で、倉敷紡績所(のちのクラボウ)の2代目社長・大原孫三郎は様々な慈善活動、社会活動を行いました。

1902年 工場内に尋常小学校を設立。倉敷商業補修学校(現在の倉敷商業高校)を設立。
1914年 大原奨農会農業研究所(現在の岡山大学資源植物科学研究所)を設立。
1919年 大原社会問題研究所(現在の法政大学大原社会問題研究所)を開設。
1921年 倉敷労働科学研究所(現在の大原記念労働科学研究所)を開設。
1923年 倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)を設立。
工員だけでなく市民の診療も行い、現在は全国でも有数の総合病院になっている。
1930年 日本初の私立西洋美術館「大原美術館」を設立。